私がパーソナルコンピュータに接したのは1983年で、8ビットのNEC PC8001mkII でプログラミングを始めました。16ビットの時代には MS-DOS 上で様々なアプリケーションソフトを使うようになり、1989年にパソコン通信を始めました。90年代の終わり頃、自宅で使っていた FM-TOWNS 上で Linux に接し、仕事では Windows95/98/NT が中心でした。2001年秋、職場の WindowsNT によるファイルサーバで Nimda ワーム感染が発生し、IIS/OutlookExpress に見られるような Windows の脆弱性を痛感しました。当時、職場の internet サーバは FreeBSD で稼働しておりましたがこちらはまったく無傷で、異なるOSが併存することで情報環境が健全に守られると考えるようになりました。
もちろん、MS-Windows でマイクロソフト社が成し遂げた功績、例えばアプリケーションがメーカーや機種に依存しないことやプリンターなど周辺機器のドライバが提供され機器がメーカーや機種に依存せずに共通に使えること、あるいは MS-Office の普及によるデータ形式の実質上の標準化などは心から称賛するところです。
しかし、WindowsXP あたりまではどちらかといえばマ社を応援する立場であったけれど、徐々に方向性に疑問を抱くようになりました。特に近年の囲い込みの傾向の強化には眉をひそめるばかりです。逆に、2000年頃から DOS/V パソコンで Slackware を皮切りに Linux を使い始め、日本語の使いやすさから VineLinux を愛用、その後 Ubuntu に転換して使いやすさも格段に洗練されてきて、今はすっかり Ubuntu が中心です。具体的にはメインPC がデスクトップの Ubuntu 24.04LTS で、プレゼン用のサブノートPCが Ubuntu 22.04LTS、リビングの副PCが Windows11 機となっています。
両者を併用して感じるのは、WindowsPC はビジネス用の、あるいはオフィス用の設備だということ。MS-Office やブラウザ上のアプリケーションソフトを動かし、過去のデータ資産を継続利用するために、頻繁に乱入する「お知らせ」と称する宣伝雑音も我慢するのが、現在のオフィスの姿なのかもしれない、と思ったりします。
また、業績好調な大企業ならば、全社のPCを順次 Windows11 が動作可能な機種に更新していくこともできるかもしれませんが、そうでないならばまだまだ Windows10 で動作可能なPCを廃棄して Windows11 が動作可能なPCに入れ替えていくのは厳しいでしょう。また、業務上のセンシティヴな性格のデータが国境を超えて国外のクラウドに蓄積されていくあり方が問題となることもあるでしょうし、国家が一私企業に主権の一部を預けるようなあり方に疑問を持つこともあると思います。

いろいろなことを考えると、Linux が選ばれるようになってきている理由は、単に無料だからという理由ではなさそうです。様々な形での囲い込みを嫌い、いわば「デジタル主権」を重視するオープンな考え方が無意識のうちに広まっているのかな、と思います。ZDnet の次の記事は、なかなか興味深いものでした。